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荘川桜コラム

高碕達之助について

高碕達之助は1885年(明治18)、大阪府髙槻市で生まれた。旧茨木中学を卒業後、農商務省水産講習所、メキシコ万博漁業(株)水産技師を経て、1917年(大正6)、東洋製罐株式会社を創立。1942年(昭和17)、満州重工業開発株式会社総裁に就任。終戦後、抑留邦人の引揚げに尽力した。1952年(昭和27)、電源開発(J-POWER)初代総裁に就任。佐久間ダム建設において外国からの技術と資本を導入し、日本における土木技術を飛躍的に発展させた。1954年(昭和29)からは鳩山内閣の経済審議庁長官、通商産業大臣を歴任。優れた判断力と的確な直感力で難題を切り抜ける反面、人情味あふれる人柄であった。まだ電源開発(J-POWER)の総裁であった頃、訪れた野口英世記念館で英世の母の手紙を目にして涙を流し、しばらくその場を動かなかったこともあったという。また動植物好きは有名で、自宅の池にはワニやダチョウが飼われていた時期もある。共産圏に行っても自由主義国でも、どちらにも好感を持たれ、虚心坦懐な態度は常に尊敬と信頼を集めた。

高碕達之助(1885-1964)

高碕達之助(1885-1964)

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