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荘川桜コラム

荘川桜の移植作業の様子について

世界の植樹史上例のない巨桜の大移植は、電源開発(J-POWER)が発注し、作業は、建設会社の間組(はざまぐみ)、造園業社の庭正造園(にわまさぞうえん)との、共同作業で推進しました。
光輪寺(こうりんじ)の桜が約35トン。照蓮寺(しょうれんじ)の桜が約38トン。その2本を、高低差50メートルも引き上げ、距離にして約600メートルも運搬しなければならず、当初は作業を見守る村の住民ですら成功を不安視していました。

電源開発総裁の髙碕達之助の発案で動き出した桜救出プロジェクト。それに共感し、尽力したのは、『桜博士』こと笹部新太郎(ささべしんたろう)氏。
笹部氏は独自に移植の研究を重ね、庭正造園の丹羽政光氏の助けを得て、不可能といわれた大移植に挑戦したのです。
移植の費用は電源開発(J-POWER)が持つことになりました。 ダム建設に際し、桜を救う工事を行うことは、開発優先の当時としては異例中の異例でした。

自然を思いやる気持ちが一つになり作業は開始されました。梅とは異なり、桜は外傷に弱い樹木。それを熟知する笹部氏は、根や枝をむやみに伐らない運搬を提唱しました。
ところが丹羽氏は、伐らねば運べぬと主張。根は100メートルも伸びており、伐採せずに運ぶことは、実際に困難でしたが、根を掘り起こしてみて無数の新根をみとめた丹羽氏は、長年の経験と職人の直感により、伐採を断行したのです。

根や枝の伐採は、笹部氏不在の間に行われ、枝というより、幹といっていいものまで伐られた桜を見た笹部氏は、あまりの無惨さに愕然としました。
しかし作業は続けられ、防虫薬や肥料が施され、根から枝まで幾重にもむしろが巻かれ、クレーンでつり上げられました。まるで姿を変えられた2本の桜は、鋼鉄製のソリに載せられ、ブルドーザー3台で、慎重に、少しずつ、運搬のために整備された道を引きずられていきました。そして昭和35年(1960年)12月24日、大移植が完了したのです。

境内にそそり立つ荘川桜の前で相談する笹部氏(左)と丹羽氏(右)

境内にそそり立つ荘川桜の前で相談する笹部氏(左)と丹羽氏(右)

枝下ろしの作業で、桜は丸裸にされていきました。100メートルほどあった根も寸断されました

枝下ろしの作業で、桜は丸裸にされていきました。100メートルほどあった根も寸断されました

ブルドーザーで引きずられ、坂道を上ってゆく荘川桜。その無惨な姿は、まるで原型をとどめていませんでした

ブルドーザーで引きずられ、坂道を上ってゆく荘川桜。その無惨な姿は、まるで原型をとどめていませんでした

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